2017年11月11日土曜日

イタリアと日本の美意識の違い




私の人生において縁のある場所がいくつかあります。


その中のひとつ、私の愛してやまない国イタリア。


イタリアを代表する素晴らしい建築・絵画・食事
すべては、女性の美しさなしには語れません。
 

イタリア女性のカービーな美しい体型が、
この国を物語っていると言っても
過言ではないほどだと思っています。
 

自信に満ち溢れた凛とした美しさに、
Stupenda! (ストゥペンダ!)「最高に素晴らしいよ!」
Complimenti!(コンプリメンティ!)「お見事!」
息をするように褒める文化。



はっと目を引く美しさがなくとも、
少し美しくしているだけで、
どこか必ずさらりと気前よく褒めてくれる
サービス精神がイタリアには息づいているのです。



また、日常生活の至る所に
古代ローマからルネッサンス期の
黄金比の
建築・絵画がところせましと並んでいて、
歴史や美術の授業では、学芸員の方から
素晴らしい説明を
聞き学ぶことができるイタリアの子供たち。


ことあるごとに美しさを考え、
感性を鍛える環境にあります。
 
そのような生活を送っていると、
美しさを客観的に考えることができるようになり、
突き詰めて行くと、
際限ない細部へのこだわりもさることながら

日常生活では、いかにバランス良く
美しく見せるかに重きが置かれます。


お洋服の買物は、真剣勝負そのものです。
女性だけではなく男性も、
老若男女みなさん、自分が納得ゆくまで、
あーでもない、こーでもないと
何度でも試着します。


そこまで自分を美しく見せることに
真剣に向き合って選んだ洋服を
より素敵に見せる姿勢や歩き方を
研究し、
努力することは当然のことかもしれません。


イタリア人は建前よりも本音
「美しくて、Sexyなものが大好き」


この美に対する執着心と努力の積み重ねが、
歳を重ねれば重ねるほど、

 美しくなっていく秘訣かもしれません。



日本人も『ジャポニズム』と言われる 
アートの一時代を築いたほど美意識が高い国民です。


華道・茶道・香道・着物文化など
世界に誇れる素晴らしい美意識が備わっているはずです。



着物・草履から洋服・革靴の時代になり
145年近くが経ちますが、

戦後の高度成長時代の大量生産・大量消費の中で、
 
美意識というものを置きざりにしてきたのでしょうか。



戦前の祖父母の時代は、
洋服、革靴、日傘まで 着物と同じように誂えて貰い、
兄弟そろって本を頭にのせて

両親に美しく正しい歩き方の練習をさせられたと。



今の家庭教育の中で美しく装うこと
歩くことの重要性をどこまで伝えられれているのでしょうか。

日本人女性のファッションのレベルや
メイクの完成度、肌の美しさ、細部へのこだわり、
繊細な美意識は、世界トップクラスだと私は思っています。

 

しかし、全体のバランスを考え美しく装い、

美しく歩くこと、最も大切な“Confidence”(自信)
が抜け落ちているように感じます。



自分に自信を持って、美しく装い、美しく歩くことは、
周りの人を心地よくHAPPYな気持ちに

させるパワーがあります。

 

イタリア人はそのパワーに気付き、
大切にしているからこそ

美しく装い、お互いに褒め合う習慣が
あるのかもしれません。

 

日本の美意識では、建前を大切にするので、
「美しくて、Sexyなものが大好き」と大声では言えませんが、
「女性の美しさを最大限に引き立て、
男性は男らしいスマートさを引き出す」ような
成熟した美意識が育っていくことを心より願っています。
 

神戸より愛を込めて


Saint-Aurelie    Seiko

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